会報49-2 (平成2年)
泉涌寺音舞台に思う
小倉直子

 私が、″音舞台"と云うイベントを知ったのは、昨秋テレビ放送で″金閣寺音舞台"を見た時でした。 水面に浮かぶ黄金色の仏閣の美しさは、東洋的無限の世界を象徴するかの様に暮色の中に照り映え、其処に遊ぶ天女の楽人が奏でる音楽は、私達をその世界に誘う甘い囁の様でした。東洋的空間に西洋の音楽が見事に消化されたメディアに接して酔い痴れた、一場の夢世界は忘れることが出来ません。

 ヨーロッパでは、野外劇場や教会でのコンサートが催されることはごく普通のことで、日本では特定の人々のものであるかの様に思われがちなクラシック音楽を、人々がより身近なものとして楽しんでいます。 日本で、それも日本文化の土台と屋根とも云うべき京都の仏閣を舞台に″音舞台コンサートシリーズ″がスタートしたことは、大変意義のあることだと思います。

 ところでこのたび幸運にも私は第二回目の″泉涌寺音舞台"をリハーサル、本番と併わせて見る機会に恵まれました。そしてまたフランス時代の親しい演奏家(ピアニスト) のマダム・モニックと一緒に見せて頂きました。皆様に彼女が、何を思い、何を考えながら″泉涌寺音舞台"を見たか、先日届いた彼女の手紙の一部を以下にご披露したいと思います。

マダム・モニックからの手紙″

 昨日、パリに到着しました。初めての日本への旅、感激しました。現在パリでは、連日にわたって経済面での大国、日本に関する記事が新聞紙上に取り上げられています。市内の看板も、以前にまして日本の企業名が多くなって来ました。またシャンゼリゼには日本人観光客が溢れ、私達フランス人ですら余り立ち寄らないサントノーレ通りの高級品店は、日本人相手の商売が中心となっています。今回私が訪れた日本、古い都、京都は、私が最近マスコミで知った日本とは趣を異にしていました。

 私はかつてフランスの芸術が、日本文化から受けた影響を知っています。絵画の分野では、印象派と呼ばれる画家たちが『写楽』『北斎』『広重』、等々に啓発され、多くの歴史的名作を残しています。また音楽の分野でも、印象派と呼ばれる、『ドビユツシー』ゃ『ラベル』が大きな影響を受けています。一八九〇年、パリ万国博覧会へ初めて出展した日本、その時日本文化がヨーロッパ、特にフランスの文化の扉を大きくたたいたことに関係しています。

 ″泉涌寺立費を見たとき、私は自国の印象派の人々が感じたのと同様とも云える衝撃を感じました。それはこのイベントが日本人の信仰の深さや自然への尊敬に発し、また生命の尊厳へ結び付いた信仰の場を舞台にしているからではないでしょうか。

 仏段の前で繰り広げられた″音舞台"は、豪華で光と音が調和し、生きる事への讃歌とも思われ、一種の哲学的な世界すら想起させました。私は日本文化とフランス文化が、多くの共通点で結ばれていることを再認識しました。

 マダム・モニックは以上の様な印象記を届けて来ました。

 私は長期に亘って、ピアノ音楽の習得や演奏活動をフランスで続けてきました。その際、マダム・モニックが″泉涌寺音舞台"で感じた日本の文化への理解と共鳴にも似た、フランス文化への羨望と尊敬の気持をかくす事は出来ませんでした。人類の歴史的果実とも云える夫々の文化を尊重すると共に、その交流による新しい発展と創造にこのイベントが奇与されることを願ってやみません。

泉涌寺仏殿前に浮かびあがる舞台

 オペラのバルバチーニが歌い飛鳥ストリングス、西村由起江が奏で、タキオバンドの汗が流れ、児太郎、橋之助が華やかに舞い、そして声明の流れる中、散華が空中に静かに散る。

 この夜の体験について語れる言葉は「演奏家としての立場を越えた次元への感動と、心の安らぎの世界への旅」とでも表現すべきでしょうか。現今クラシックの音楽界も大きな節目を迎えています。従来の音響的に完備されたホールでのコンサートと、多少音響的側面を犠牲にしてもトータルパフォーマンスに狙いをおいたコンサートとに大別されてきています。後者の動向は他のジャンルの音楽をはじめ、舞踊、美術、照明等々の内容面でのジョイントを含め、場所もホール以外、野外にまで広がって、その数も益々増える傾向にあるようです。この現象は、人々のクラシック音楽に村する意識が、より貧欲になったことや、音響機器の発達が人々の限り無い欲望を満足させることを可能にしたこと等がその原因と云えるのではないでしょうか。

 コンサートの在り方は、これからも時代と共に多様なヴアリエーションをとって現われるでしょうが、ミューズの神とその使徒としての楽人の存在は、人々の心に何時の時代にも住みついて消失することのないことを思うと、仏教の世界と芸術のとり合わせによるイベントの姿に変りがあっても、希求される世界の現出に方向性を見失うことはないものと信じています。

 私は仏教について、殆ど知る処がございませんが、あるいは音楽芸術の世界と共通した、様々な潮流があるのではないかと思ねれます。しかし仏教とその使徒である羅漢者の存在は、地球と共に不滅の存在であり、人ある処、心に平安を求め、感動にふるえ、来世に救いを願う魂の漂流者に、現世的安心を与えて下さることを祈らずにはおれません。

 この意味で、音舞台シリーズが『東洋と西洋の出合い』と云うテーマにふさわしい企画のもとで、次々と新しい展開を見せて下さることを楽しみにしています。そして″泉涌寺音舞台"を通して、マダム・モニックが体験した魂の喜びと平安が、洋の東西の垣根や人種を越えた次元に迄、普く満つることを願うものです。

 最後に、京都仏教会のこの催事が世界の舞台に貴重な一役を担われることになって欲しいとの思いをお伝えいたします。

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