会報75-3 (平成16年)

教育基本法改正と宗教教育

対談・於 京都全日空ホテル 平成15年8月22日

京都仏教会・宗教と政治検討委員会

出席者(敬称略・順不同)

洗 建 (駒澤大学教授)
田中 滋 (龍谷大学教授)
田中 治 (大阪府立大学教授)
宮城 泰年 (京都仏教会常務理事)
安井 攸爾 (同理事)
佐分 宗順 (同評議員)
横江 桃国 (同評議員)

オブザーバー・ 府上 征三 牧師
   日本基督教団洛陽教会
   国家と宗教のあり方を問う
   
関西宗教者の会

<司会> 長澤 香静 事務局長

 

 

 

 

 

 

 

 

 

司会 現在、教育基本法の改正問題が政治日程に上っていて、公教育における宗教教育の問題が焦点の一つとなっています。京都仏教会が加盟している全日本仏教会は、宗教教育推進の立場から中教審に要請書を提出しており、これには賛否両論があるようです。私たちもこの問題に対し、政教分離・信教の自由という原則を踏まえ、しっかりした認識を持つことが必要になっています。そこで、本日は宗教と政治検討委員会で公教育における宗教教育について話し合って頂きたいと思います。

安井 これは論点を絞って考えたいですね。「公教育の中に宗教教育を持ち込むことの是非」、「全日本仏教会の要請書に対する京都仏教会の見解」という二つに。まず、大まかに問題を整理してください。


憲法改正問題との連動

司会 この問題の前提として「教育改革のために教育基本法を改正する必要があるか」という疑問があるわけです。かつての臨教審では教育基本法の改正はテーマにならなかった。改正せずに改革するということでした。
 今回は「改正」ですが、GHQの押しつけ論が改正推進派の一つの根拠になっており、憲法改正に連動していると見られています。むろん、改正には根強い反対があって、中教審の議論は拙速である、委員人選も偏っているという批判がでています。教育学界からは教育学の研究成果が中教審審議に活かされていない、という議論があるようです。「戦争のできる国づくりの一環では?」という批判もありますね。
 注意したいのは、国立の追悼施設に積極的な人が全日仏宗教教育推進特別委員会の中心メンバーでもあるということで、政教分離の解釈の立場という問題も絡んでくるのではと思われます。

安井 全日仏の要望書を読むと、社会の混迷、教育の混乱を理由に挙げ、道徳教育止まりではだめだ、宗教教育が必要だ、という言い方をしている。

 しかし、遡れば、そもそも明治政府が私立学校も含め宗教教育を排除する措置をとったのですよ。キリスト教対策として。

宮城 明治の初め、いったん寺子屋教育など従来の宗教教育を認めておきながら、まもなく手のひらを返したようにそれを禁じたんですね。そして、神道は宗教ではないという位置づけにして、国家神道だけを例外とした。

 宗教ではないという理由で、特定の宗教のための教育を行ったわけです。戦後、国家神道を廃止されると、宗教について何を教えていいか全く分からないようになった。

宮城 宗教音痴を作ったのは、まさに政府の政策なんです。


「宗教情操教育」への疑問

 政府は昭和10年、学校における宗教教育の禁止は、宗教情操教育を妨げるものではない、としていますし、21 年には国会で「宗教的情操教育に関する決議」が可決されている。しかし、GH Qが宗教情操教育を承認しなかったのは当たり前のことで、特定の宗教と関わりのない「一般的な宗教情操」があり得るなどということを議論していたのは日本だけなんです。日本以外では、宗教教育とは宗教的信仰に導く教育を意味する。情操とは特定の対象に向けられるものであって、一般的な宗教情操があり得るというような説は学界では否定されています。

佐分 全日仏の要請書は「日本の伝統・文化に寄与してきた宗教に関する基本的知識及び意義」と書いていますが、これは新宗教などを排除した一部の宗教だけに限るという発想でしょう。

安井 日宗連も意見書を出しているが、全日仏の要請書には同意できるのかな。

司会 日宗連の会議では全日仏の意見に一部から批判が出たようですね。

安井 そもそも、信教の自由がどういうものか理解していない。社会の仏教離れという状況を国家の手を借りて何とか打開しようという考え方だ。僧侶は地域の中で精神指導者としての地位を失っている。学級崩壊などといった問題にもはや日常、関わることができない立場でしょう。その一気巻き返しとして、国家の力で、かつての国教の位置に戻ることをめざしているんじゃないかな。いずれにせよ、全日仏の要請書レベルの議論は容認できない。戦前、敗戦直後の流れを基盤にして公教育における宗教教育を議論しても実りのある結論は出てこない、と思いますよ私は。それに関わらなかった年代が自分たちの問題として取り組むべきじゃないでしょうか。仏教会としても高いレベルで意見を持つ必要がありますね。

佐分 中教審は道徳教育において宗教的情操に関する教育を充実させると言っているわけですが、特定の宗教ではない宗教情操という発想は、戦前の神道非宗教論と同じですね。

安井 憲法上、公教育での宗教教育はできない、という基本は押さえて置かないといけない。

横江 憲法改正を念頭に置いている動きに対して、全日仏の構成団体すべてが賛意を表しているか疑問ですよ。京都仏教会としてこの憲法の立場をはっきりさせたものを打ち出すべきでしょう。

司会 根底に政教分離の解釈の違いがあるかも知れないということも踏まえておいたほうがいいでしょうね。


宗教教育とは何か

佐分 先ほど指摘があったように、現在の社会状況を批判して、教育基本法さえ改正すれば問題は解決する、という論法にまず疑問を感じますが……

宮城 まず情緒論から入り、宗教教育必要論に誘導しているんですよ。

佐分 しかし、一方で、宗教教育を学校教育に取り入れることはできない、と頭から決めつける解釈でいいのか、という疑問も私は持っています。

田中治 その場合、「宗教教育」とは具体的に何を意味するのか、ということがあるでしょう。

司会 公教育において、「日本の伝統・文化の形成に寄与してきた宗教に関する基本的知識」の適切な教材とは一体何なのか、これも大いに議論になりますね。

佐分 全日仏の要請書に戻りますが、この第一項「日本の伝統・文化うんぬん」は教育基本法九条一項と要請書第二項の「宗教に関する寛容」とやはり矛盾する……。

司会 要請書の第三項の「特定の宗教のための宗派教育」という表現にも疑問があります。

横江 表現がおかしいね。「特定の宗派のための宗教教育」ならわかるけど。

司会 宗教に関する知識と宗教のもつ意義の尊重を唱い、宗教的情操に関する教育を道徳教育の中で充実させてゆく、という中教審答申についてはどう評価しますか。

安井 教材には当然、宗派の外向けの「正史」が使われるのでしょう。宗門では肯定されるカルト的要素を無視し、「道徳」的に都合のいいところだけを取りあげて、それを伝統仏教だということが教育で行われるようだったら、これは欺瞞ですよ。「正史」だけ提示するのは、その宗派にとって自らの宗教性の放棄にもなる。

 狭い意味での宗教学的立場、つまりすべての宗教に対して価値中立的立場から、宗教とは自然科学の知識とは異なる信念の体系であって、それが社会の中でどのような働きをするのか、という理解を得させる、という教育なら私も賛成できます。しかし、それができる教員はほとんどいないでしょう。

宮城 教師に宗教的信念があれば公教育の宗教教育ができるというのは基本的に誤りでしょうね。


現行憲法の立場から

田中滋 これまでの議論を聞いていて思ったんですが、「宗教のもつ意義」の件で、宗教法人の税の問題や公共性の問題をきちんと押さえないと、宗教法人の非課税問題などで仏教会の立場は自己矛盾を起こしてしまうかも知れない。それを多少危惧します。

田中治 この流れを放置すれば、国がオウム≠窿iチスの教育をすることになるおそれがある。個人の生き方に関わる問題、個人の生き方の選択を、宗教教育という名の下にコントロールするということを私は警戒します。

安井 ただ、繰り返しになりますが、その場合、「戦争のできる国づくり」といった角度からの批判は戦前からの一方の論理であり、もはや鮮度が失われている。別の角度からの立論が必要だ。

横江 宗教者として宗教情操教育が必要だと考えるなら、国の権力に頼らず、本来宗教者がなすべき活動を通してすればいいのではないか。それを一つの論点として是非打ち出してほしいですね。

司会 府上先生はどのようにお考えになりますか。

府上 最近の事例なんですが、京都市の教育長がモラロジーの総会で講演し、中学・高校の教師に出席を促すチラシを配ったんです。モラロジー側は現行憲法批判、教育基本法批判を盛り込んだ案内文を出していました。そこに教育長が出席し、教師に出席を促すということに、京都市教委の姿勢が示されているように思います。私は「戦争のできる国づくり」という枠のなかで中教審の発想が動いているような気がするんです。要請書を出した全日仏がそれに気づいているのかどうか。

安井 京都仏教会は多様な宗教、価値が共存できる状態を理想としている。そのうちのいずれかが国家体制と結びつく、ということは賛同できない。これは我々の立場として打ち出せるのじゃないかな。

佐分 それは正論ですよ。しかし、国を守る気持ち、日本という国の意識希薄化への危機感も強くある。中学生や小学生にはじめから「自主性」といって投げ出す教育の現状は正しいのかという疑問も拭えない。小林よしのりの本などが売れている現状を考えるべきですよ。その上で議論しないと。

安井 今の青少年問題が宗教教育の欠落を原因とするかどうか、それについては徹底的に議論すべきだね。親を「市中引き回し」と言った鴻池(祥肇)大臣は、大臣の発言とはとうてい思えないが、同じレベルの認識は確かに一般にかなりあって、それが……

司会 ああいう事件をみて、いまこそ宗教教育だという議論が力を得たんでしょうね。

田中治 どういう論理で宗教教育に結びつくのか。ものすごい短絡ですよ。

佐分 しかし、中学・高校になって自分で考える年齢になればいいが、小学校などで自主性を重んじる教育といってもあまり信用できませんね。子供の頃は上の方から引っ張ってゆくという形の教育も必要です。その点においては推進派の意見も私は理解できる。

田中治 何が正しい、間違っているというのは相対的です。

佐分 小田実が「一足す一は三だという子供がいてもいい」と言ったとき、比喩にしてもそれはおかしいと私は思いました。ある時期まではこれはこうなんだと教えるべきですね。まあ、道徳に関しては多少議論があるでしょうが。河合隼雄は、売春する女の子が「他人に迷惑をかけていない、なぜいけない」と言った時、「いけないものはいけない、世の中には理屈でなくいけないものがある」といえば、子供は納得するといっている。それは私も共感できるんです。

田中治 そのことと、宗教教育はどこでリンクするんです?。

佐分 宗教はその根底を提供できるのではないか、と思います。

 道徳の根底に宗教を立てるというのは、キリスト教のような人格神を立てる宗教は密接に結びついていると思います。しかし、仏教のように解脱を目指す宗教と道徳の関係は、(仏教にも倫理はあるが)キリスト教と道徳の関係とはちょっと違う気がする。道徳の根幹に宗教があるというのはヨーロッパの教育論で生まれてきたもので、それが日本に持ち込まれてきたと思いますよ。


批判だけでなく、具体的な打開策を

横江 今の社会状況はたしかに問題が多く厳しいが、ある意味で健全だと言えるんじゃないですか。そのなかで、「民」の方から積極的に意見を出し、何かを形成していくのが民主主義でしょう。仏教会もそうした観点から意見を打ち出してはどうですか。

佐分 確かに全日仏の要請文への反論だけでは弱い。今のこの状況をどうとらえ、どう打開するかという具体論がないと説得力がないですね。

 その場合、気をつけておく必要があるのは、世界観的な統合は絶対やるべきではないということです。宗教教育は宗教団体や家庭がやるべきことなんです。自然科学的な知識とイデオロギー・宗教は性格が違う。後者は個人がそれぞれ選択すべきものです。私学は別として、公教育はその違いを理解させ、個人が選択する準備を与えるところまでが限界だと私は考えています。

佐分 公教育における宗教教育が論じられる一方で、私学教育では逆に補助金をタテに、宗派教育に対して官による制約があるのではないでしょうか。野田正彰先生はそうした問題を指摘されていましたよ。公教育における宗教教育の議論と宗教系私学の宗派教育の関連も念頭に置いておくべきでは?

田中治 ポイントは宗教教団が独力でやるのはいいが、国家権力が介在してやるのは間違っているということですね。

佐分 国家権力が公教育で取りあげる宗教を限定すれば、親が信教の自由侵犯という訴えを起こすのは必至でしょうね。日宗連が賛成したというのはどういうことなんでしょう。

司会 仏教会としては基本的には教育基本法は改正する必要はない、という立場になりますか?

宮城 現行法で何ら差し障りがない。

佐分 ただし、今の教育でいいというわけではない、と。

横江 この状況にどう対応するか、各教団は教化の課題として真剣に取り組むべきだ。政治の動きに便乗するのはとんでもない考え違いですよ。

 


教育基本法改正と宗教教育問題の流れ

 教育基本法は昭和22 年に公布・施行された。憲法との関連が深く「憲法的法律」ともいわれる。第9条が宗教教育に充てられ、次のように規定されている。

 1、宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
 2、国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

 教育基本法の改正は制定以来幾度か議論されてきたが、昭和59年に発足した臨時教育審議会は「教育基本法の精神にのっとり」という立場で、改正は俎上にあがらなかった。その後、自民党を中心に教育基本法の見直しの動きが強まり、平成12年7月の臨時国会で森喜朗首相(当時)が所信表明において同法を「抜本的に見直す必要がある」と述べている。また、小渕内閣のもとでスタートした教育改革国民会議は同年12月に発表した最終報告で「新しい時代にふさわしい教育基本法を」と提言した。13年11月には遠山敦子文部科学大臣が中央教育審議会に教育基本法の見直しを諮問。これを承けて中教審基本問題部会で審議が行なわれ、14年11月に中間報告、15年3月20日に最終答申「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」が遠山文科相に提出された。

 中教審は審議の過程で全国5会場での公聴会と31団体・有識者7人からのヒアリングを行っており、宗教界を代表するかたちで日本宗教連盟がヒアリングを受けている。また、日宗連は月22日付で、中教審中間報告を踏まえて理事連名の意見書(中教審鳥居泰彦会長宛)を提出。「公教育における宗教教育全般を禁止するかのような解釈を生む余地をなくすため」として、禁止の具体的規定として「特定の宗教のための宗派教育」という表現を用いることなどを提言している。

 全日本仏教会はこの意見書に森和久理事長が日宗連理事として加わっているが、14年12月の中教審公聴会で全日仏としての意見を発表。15年2月4日付で鳥居会長充に「要請書」を提出し、「特定の宗教のための宗派教育」という表現の導入とともに、「日本の伝統文化の形成に寄与してきた宗教」という概念や「宗教的情操の涵養の尊重」を中教審答申に盛り込むよう求めた。さらに宗教教育推進特別委員会(杉谷義純委員長)を立ち上げ、公明党・共産党を除く主要政党や文部科学省への要請伝達・意見交換、加盟団体への趣旨説明など、教育基本法第9条改正のための活動を展開している。ただし、全日仏のこうした動きに関しては、一部にではあるがすでに批判の声が上がっているのは事実だ。

 今年10月4日、東京と香川、石川の3会場を結んで開かれた文部科学省主催「教育改革フォーラム・教育改革の推進と教育基本法の在り方について」では、宗教教育の問題も重要な焦点となり、公教育における宗教教育については積極論と慎重論に意見が分かれた。いま、教育費本法改正と宗教教育問題で宗教者の見識が問われている。

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