会報55-1 (平成5年)
京都に期待すること
共立女子大学客員教授
フランソワーズ・モレシャン

 今年になって、ある取材の仕事でベトナムを訪れた。驚いたのは、憎まれても致し方ない旧宗主国であるフランスが十九世紀末から二十世紀の初めにかけて建てた教会や公共建築物、橋、街並み、さらには並木道に至るまでの都市計画全体がほとんど無傷のまま残されていたことである。それは戦禍を越えて残されていたことに対する驚きでもあったが、植民地支配に対する憎しみと文化への敬意とを混同しなかったベトナム人の賢明さに対する驚きでもあった。

 もちろん、それは新しい建築物を建てる経済的な余裕がなかったせいかもしれない。急激な経済復興を成し遂げているベトナムが、十年後も同じ姿を残しているかどうかは分からない。フランス時代の建物を取り壊し、バンコクやシンガポールや香港と同じく高層ビルが建つのかもしれない。だが、今のところ彼らは食べるものがやっと何とかなった状況で、何を手掛けているかと言うと建築物の保存と修繕である。市民レベルでは、自分の住む建物のペンキを塗り替えている。ベトナム人のおしゃれは有名である。いくら貧しくてもおしゃれをする。以前、ベトナム難民のキャンプ地を訪れた時、命を賭けてボートピープルになった人たちが、どんなに質素な生活をしていても、精一杯のおしゃれをしている姿に感動したことがある。

 おしゃれは一世紀にわたるフランス植民地時代の影響かもしれないが、建築物に対する情熱はベトナム人の文化水準の高さを示している。当時のフランスはベトナムに於ける天然資源や軍事的拠点としての『下心』は当然あったであろうが、フランス化政策を進めながらも、ベトナム固有の文化を否定することはなかった。美術館など今に残る多くの建築物はベトナム風の建築要素を数多く取り入れている。また、当時では第一級の建築家であった、エッフェル塔で有名なギユスタヴ・エッフェルなども長い船旅をして、ベトナムに数多くの橋や建物を残しているのである。フランスはベトナムに見返りとして莫大な文化提供をしていた。今もフランス政府は経済面だけでなく、こうした建築物の保存と修繕のために人材と予算の援助をしている。自分たちの文化遺産であるからだけではない。例えば、ベトナムの寺院やカンボジアのアンコール・ワットの遺跡の修復にも少なからぬ援助をしている。

 多くの日本人の旅行者がヨーロッパを訪れて、昔の建造物の残った佇の美しさに感心する。そして、それらが石造建築に由来すると結論づける。それもあるかもしれない。しかし、最も大きな理由は私たちの『残そう』とする意志である。第二次大戦後、破壊された多くのヨーロッパの街が普通りの街並みの再現計画を始めた。私たちは生まれて育った環境を残そうという本能を持つ。これは保守的な考えと思われがちであるが、動物としての本能である。京都やパリなど伝統と歴史の街が、往々にして大胆な前衛的芸術を生み出すのも、こうした伝統の安心感があるからこそと思われる。

 だが、その前衛を伝統美の破壊に使用してはならない。エッフェル塔が建てられた時代多くのパリジャンたちが、エッフェル塔はパリの美しさを破壊したと嘆いた。このエピソードが世界中で悪用される。京都も例外ではない。だがエッフエル塔は、ひいき目ではないが、世界中のどの塔よりも美しくパリの街に似合っている。そして、その美しさを守るために、パリ市内には高層建築の規制が、さらに厳しく設けられることになった。個人的には賛成しかねるが、もし京都タワーが美しいという人がいるのならば、ぜひ、あの塔の美しさを守るためにも、京都の高層化は反対してもらいたいものである。

 私は京都が好きだ。月に一度は京都を訪れないと心が落ち着かない。住民ではないが主人の家の墓が鷹が峰の光悦寺にあるので、骨を埋めるのは京都であると決めている。それが理由で結婚したわけではないが、京都にて死ぬというのは、若い頃からの私の夢であった。余裕が出来れば、老後は京都に住みたい。そんな私であるから言うのではない。京都の方に分かってもらいたいことは、京都は京都人のものでも、日本人のものでもなく、世界の宝であるということだ。以前、そういう話をすると、京都の人が怒って私に言った。『モレシャンさん、あなたは京都に住んでいないから、そんな無責任なことが言えるのです。私たちは博物館に住んでは食べていけません。京都人だって、東京の人と同じような文化的生活を営む権利があるのです。そのためにはマンションも必要だし、企業の誘致も必要です。でも、お寺ばかりの京都で何が出来るのですか?』

 私は京都の人が東京と同じ『文化的生活』を求めるならば、東京へ出ることをお勧めする。また、果たして新しい高層建築を建てなくては、本当に食べていけないのだろうか?バブル経済のはじけた今では、少し理解してもらえると思うが、日本中を沸かした、あの建築ブームは政治家と建築業者のためだったと言う気がしないでもない。むろん、私は冬の寒さと夏の暑さに日本的家屋の中で耐えろと言うのではない。京都の中でも、外見は伝統的な美しい佇を残しながら、中はモダンな内装に仕上げているところは多い。もし、京都に産業が必要ならば、その周辺地域を開発することにして、京都はぜひとも、その美しさを残してもらいたい。私がパリジェンヌとしての誇りを維持しているように、それが京都人の誇りであると思う。

 パリも決して古いものをそのまま残しているわけではない。今世紀初頭に建てられたオルセー駅を美術館に改装したり、ルーブル美術館の前にモダンなビラミッド建築を建てたり、常に調和を考えながら、現代の美と過去の美を混ぜ合わせる努力をしている。そしてそれらの新しい建造物を手樹けるのはパリジャンばかりではない、外国人建築家が多い。パリは世界の宝であるから、美しいものを作る人間は世界から集るのである。

 京都の産業とは文化であるのだ。文化には確かに目に見える儲けはない。だが何世紀にもわたり世界から愛されるという金銭に替えがたい儲けがあることを考えてもらいたい。もし、日本が不況とか戦争になって京都の美が危機に瀕する時、フランスを始め世界中の国が援助の手を差し伸べてくれるであろう。商売で言うならば老舗の哲学と共通するものがある。京都であるからこそ、その考え方は理解してもらえると確信する。

 もうひとつ、京都に於て大事なことは宗教である。宗教というと最近の新興宗教の影響もあって多くの人が避けたがるが、私は宗教とは信じる信じないということだけでなく文化の基礎となる伝統と歴史には欠かせない大きな要素と考えている。私個人はカトリックの国フランスでは珍しい無宗教の人間である。母のモダンな教育方針もあって、洗礼も受けていない。だが、そんな私でもフランスに育った以上、カトリック文化から逃れることは出来ない。クリスマスや復活祭は今でも私にとって重要な家庭行事である。それが私のアイデンティティでもあるのだ。同じょうに、日本人にとって仏教をいくら否定しょうが育った文化からは逃れられない。あらゆる伝統文化が仏教と共に培われて来たのである。

 自己の伝統を否定して、西洋文明との競争に勝ったと考えるのもよいが、実際には精神の荒廃とエゴイズムばかりが助長されたのが現代の日本の姿ではないだろうか。伝統を再認識して、競争心を捨てて、世界の共存を考える時代が釆ている。

 京都に期待することは大きい。

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