平成3年8月1日 発行書籍より
京都の景観保護と将来の町づくりについて
京都仏教会編
目次・はじめに │  │  │ 三 │  │  

三、京都の未来



(一)観光

@観光と京都
 それでは京都の未来をどの様にデザインしてゆけば良いのでしょうか。
 京都は知的生産と消費の町、そして精神の拠り所を与える町であると明確に規定すべきです。東京へはビジネスのために行きます。ところが京都へは、仕事や雑用から逃げるため、余暇を楽しむために来るのです。
 このニーズを満たすために京都は何をするべきかといえば、一つは京都は年間4000万人もの観光客を受け入れて2兆5000億円もの経済効果があるのですから、この観光に力をいれることです。年間2兆5000億円もの経済効果を生み、おまけに公害も出さない産業なんて他にあるでしょうか。費用対効果の点でも非常に効率がよいのです。
 京都は今までこの様な産業によって大きな利益を生み出してきたのも関わらず、京都市はその財産を食い潰そうとしています。古都税問題の時もそうでした。京都は寺院が多いので固定資産税の収入が少なく、経済効率が非常に悪いという理由で、古都税という税を考え出し、日本のアイデンティティを求めてくる人々に対し税金をかけようとしたのです。今回は、京都に高層ビルを林立させ、京都の景観を台なしにしようとしているのです。京都に蓄積されてきた宗教的・文化的遺産は世界的にも第一級のものであり、それが京都の町並みや景観と一体となって京都の価値を高めています。だから京都の物価が少々高くても観光客は京都を訪れ、土地が高くても京都に家を持ちたいという人が多いのです。多くの人が仕事ではなく、神経的満足のために京都を訪れて賛美してくれる。世界の要人が日本に来れば京都を訪れる。これは京都の人間にとっては誇りです。この誇りを生んでいるものこそが京都の価値を高めているのです。
 京都駅を高層化してランドマークにするなどという発想は、なぜ京都に人々が訪れるかということが判らない人の考えです。ランドマークは町の目印です。アメリカなどの町は大平原や砂漠にあって特徴がないから、ランドマークも必要でしょう。しかし京都にランドマークは要りません。それはみなさんが良く判っているはずです。京都には名刹といわれる寺社があります。それが一つのランドマークとなっているのです。

A京都観光の振興と安定

 全国で展覧会・博覧会がもてはやされていますが、花博・万博(大阪)、ポートピア(神戸)等は大成功なのに札幌、仙台、沖縄、筑波、名古屋等々はなぜ成功しなかったのでしょうか。大阪、神戸のイベントと北海道、東北、九州のイベントとの間に企画力や運営能力に差などありません。まして財界人や政治家、知事、市長の力等に関係はありません。京都近郊の大阪、神戸の場合は、たとえイベントが期待はずれでも京都や奈良で観光すれば良いという安心感が、イベントに訪れる人々を増やしているのです。
 花博効果で平成2年の京都の入洛客は増加しているとの声を聞きますが、本当は反対なのです。京都、奈良の効果で花博は成功したと言えるのではないでしょうか。
 京都の町の活性化を観光という面からもう少し考えてみますと、日帰り客よりも宿泊客の増加が経済効果を高めます。京都を破壊せず、入洛客を増加させるには、京都近郊に東京ディズニーランドのようなテーマ・パークを誘致してはどうでしょうか。1年間の入場者が1600万人といわれているディズニーランドは誘致した町の活性化と、その近くの京都という都市の力をパワーアップさせるという相乗効果があると考えます。観光客のニーズの多様化にも対応でき、入洛客の季節による増減の緩和にもつながると考えます。大規模な遊園地で東京ディズニーランドに対抗できる場所は、京都近郊しかありません。なぜなら4000万人もの人々が休息に京都を訪れるのです。そこから僅か30分から40分で行けるテーマ・パークの魅力は大変なものがあると考えられます。この施設へ京都をベースにして行けたら、どれほど魅力的なものになるか考えてみてください。歴史文化、木の香りとテクノロジーのマッチングがそこにあります。このように京都の活性化は、京都の町をベースにした郊外の開発・振興を一緒に考えてみたらどうでしょうか。


(二)大学

 ところで京都にとってもう一つの重要なものは大学です。京都市は大学生一人につき経済効果がどのくらいあるのかというようなことしか考えず、大学のスペースが狭くなり容積の増大を求めてきても、規制を緩和することもせず、大学がどんどん京都から出ていくのを放置しておきました。しかし観光シーズンには、大学生のアルバイトは大きな労働力になりますし、なによりも大学生が京都の町で四年間、青春の一番多感な時期を過ごし、京都のいい思い出を沢山もって帰って行く。そして彼等が社会に出た時、再び京都を訪れてくれます。教師になったものは生徒を連れて修学旅行に訪れ、家族が出来れば自分の青春の記念の場所を紹介しに来てくれます。修学旅行や家族旅行で来てくれた子供達もまた、大学はやはり京都が良いといって京都に来るという循環が出来上がっていくのです。彼等は京都を意識して京都を応援してくれ、京都の良き理解者となってくれるんです。大学の四年間で学生達をはぐくみ育てた京都の町に対する思い入れこそが何よりも大きな財産になるのです。この点で京都は、はからずも外交上手な町になっていたのです。
 ところが日本は世界の中で、外交下手な国といわれています。アメリカは戦後フルブライト奨学金等によって多くの留学生を受け入れました。だからアメリカは世界から非難されるようなことがあっても、アメリカで人生の大切な一時期を送った経験を持つ人々はアメリカに対して強い親近感を感じます。そのことでアメリカは大変救われているのです。日本は経済大国になったけれど世界の中で孤立しています。なぜ孤立するのかといえば、日本は外国人を多く受け入れなかったからです。その結果、日本語を話す人も少なく、本当の意味での日本語の理解者が少ないからです。
 京都はそういう日本に中では、外交上手な町だったのです。京都に強い親近感を覚える人々を生みだし、その人々が京都を宣伝し、もう一度京都を訪れてくれるのです。ですから大学誘致のためならば、多少の建物の容積率緩和や、三山(北山・東山・西山)さえも一部開発許可を考慮するべきではないでしょうか。大学が京都から流出する原因は、地価の高騰による学校用地拡大の困難さにあります。三山周辺の開発を大学に限り許可すれば、低廉な価格で土地を取得できるので大学の招致及び流出防止に大いなる効果が期待できます。京都に於ける経済的価値は将来的に考えれば3000人の従業員の上場企業の本社よりも3000人の学生を擁する大学の方が高いのです。現に滋賀県大津市では、積極的に大学の誘致を行なっており、学生数600名のある大学に対し、20億円の補助を行なっております。この様なことを考えれば、5000人、10000人の学生数の規模の大学の市外流出に対する京都市当局の無策ぶりは責任追及されてもいいのではないでしょうか。これからの大学は京都市が配慮してくれるならば、少しくらい条件が悪くても京都へ行きたいし、残りたいという願望を持っているのです。しかし、京都市当局のあまりの無策に市外流出を決意せざるを得ないのです。


(三)知的生産と情報化

 もう一つ、京都の可能性として、今後は一般的にコミュニケーションの機能が発達し、情報の伝達がますます簡単に行なえるようになるのですから、オフィスの中での知的な生産部分を東京や他都市から、京都の閑静な所へ持ってくることも可能でしょう。例えば情報処理の仕事やデザイン、商品の企画等のソフトウェアー関係の仕事は、特に仕事場や周りの環境が大きく影響するでしょうから、オフィスのこれらの部門を京都にもってくれば、閑静な仕事場を提供できるのではないでしょうか。京都を物的生産ではなく知的、感性的なものを生み出す場所にするのです。世界は今や情報化の時代であり、エコロジーの時代なのです。人々は住み良い環境と、環境の良い仕事場を求めており、京都はそのニーズに応えることのできる町なのです。
 このような意味で、京都にとっては現行の高さ規制45メートルでさえ高すぎます。最高の高さを31メートル位にまで押さえるべきです。東山をはじめ三方の山並みでいえば15メートルが限界です。15メートルというのは植樹して隠れる高さなのです。しかし既に建っている建物を削るわけにはいきませんから、100年をかけ、建都1300年までに京都の町の魅力が高まるように、現在の町並み保存のために、今の高さを更に15メートルぐらい低くするよう努力していくべきです。このことは、地上げによる都心部の空洞化についてもただ単に町壊しを防止しようといっても商業活動として行なわれている地上げに対しては無力なのです。だから不動産業者や開発業者が投資利潤を上げ難い規制強化「高さと容積率」によって古都の景観保存を行なう以外方法はありません。
 しかし保存しても奈良や鎌倉のような都市ではなく、京都は140万人を越える大都市なので、大都市としての機能は備えていかなければなりません。だから地下鉄やリニアモーターカーを初めとする交通機関の充実等にも力を入れるべきです。しかし、観光のために全てが人工的に整備されているというのではなく、種々雑多な中で市民が生活している、そのことが京都の魅力につながっているのです。


(四)高さ制限

さて、今の京都の町並みを維持し、高層ビルを建てさせないためには建物の容積率を下げることです。現在の高さについて、御池通りと烏丸通を例にとってみると、現在は建ペイ率80パーセント、容積率700パーセントの第六種高度地区(高さ45メートル)ですが、二つの通りで高さ45メートルの建物は池坊会館ただ一つであります。なぜ他のビルも45メートルの高さにしないのでしょうか。45メートルの高さというと、通常のビルでは15階建てになります。ケーススタディーとして、1000平米の土地上の建築を考えてみると、高さを追求した場合は、1000平米×700パーセント(延べ床面積)、7000平米÷15階=467平米となります。つまり45メートルの高さにすると各階が467平米しかない15階建てのビルが出来ます。しかし、その中には共有分として各階に、トイレ、エレベーター廊下、階段が必要です。それを各階につき132平米としますと、330平米の有効面積しかとれません。つまり330平米×15階=4950平米の有効面積の建物が出来ます。一方、建ぺい率を追求した場合は、1000平米×700パーセント=7000平米(延べ面積)、7000平米÷〔1000メートル×0.8(建ぺい率)〕=8・75階。8・75階は9階建てと考えると7000平米÷9=778平米、つまり778平米の9階建ての建物ができます。各階3メートルとしますと、高さは27メートルです。
 次は有効面積です。さきほどと同じように共有分(トイレその他)を132平米としますと、各階が778平米−132平米=646平米の有効面積を持つ9階建て、つまり646平米×9階=5814平米の有効面積の建物が出来ます。この条件設定での不動産ビジネスとしての利潤追求を第一とした不動産投資を考えてみます。
 そうすると、現在の建築条件(容積率700パーセント、建ペイ率80パーセント、高度45メートル)ならば、不動産投資としては明らかに建ペイ率追求型の方が、高層追求型より断然有利であることが判ります。だから御池通、烏丸通等は、現在でも45メートルまで建てられるのも関わらず、31メートル以下の9階ビルが並んでいるのです。例外である池坊会館は、所有者が非営利団体という性格上、採算を度外視した大変魅力的な建物となっています。
 では総合設計制度による高層化はなぜ起こるのでしょうか。この制度を受けると容積率の大幅な上積みが得られるからです。そしてこの容積率の上積み分は、そのまま高層化し、不動産投資としては、そのまま利潤追求となります。言い換えますと容積率を上積みしなければ、一般ビル(京都駅を除く)は高層化しません。京都駅南側の松下興産ビルの高層化も400パーセントの容積率を600パーセントまで上積みすれば可能になるのです。つまり土地所有者の不動産投資の利回りを大幅に引き上げることになるのです。
 しかし、そのために我々は、京都の文化と町並みの破壊という大きな犠牲を払わなければなりません。1000年以上かけて創り上げた京都という都市の文化遺産を、いま土地を所有しているというだけで破壊することが許されるのでしょうか。
 京都の活性化、文化的遺産の増加に役立つと考えられる大学や茶道・華道・能等の伝統をもつ団体、病院・市役所等の公共施設、その他非営利団体等々の建物については、各制度を弾力的に活用すべきです。

前のページへ │ 次のページへ

ウィンドウを閉じる