平成3年8月1日 発行書籍より
京都の景観保護と将来の町づくりについて
京都仏教会編
目次・はじめに │  │ 二 │  │  │  

二、京都の特性と活性化



(一)京都の町のなりたち

 京都に東京式の活性化が無理な理由の一つは、京都が既に出来上がった都市だからです。東京は第二次世界大戦で破壊され、そこから都市が再整備されましたが、京都は戦争の破壊からまぬがれ、多くの文化財と町並みが残りました。これらの遺産の上に京都の未来を考えなくてはならないのです。しかしこの事を配慮の外においたとしても、三方を山で囲まれた盆地で、港もなく飛行場もつくれないという京都の地勢で、工場を誘致し、150万も200万もの人口を抱えるような、いわゆる東京式の町をつくるのは無理というものです。
 1200年前に京都の町がつくられた時、御所と天皇と貴族・官僚そして周辺の寺院と、町衆を含めてせいぜい10万人位のとしでした。それから時代を経て応仁の乱や幕末の動乱を経験しても、京都は50万人位を境に人口の増減を繰り返してきています。しかしそれでも平安時代にこの都を造った人にとっては想像を越えた数でしょう。三方を山に囲まれ、南に向かって開けているという、一種の理想の町であったのでしょうが、人口規模は10万人程度を対象に造られた町であった筈です。例えば神戸などは150年前までは海辺の寒村ですし、横浜も同様です。急に町ができて150年程しか経っていませんので、アメリカのゴールドラッシュで沸いた西部にできた町と同じです。ところが京都は1000年以上も経っているのですから、完成度は大変高く、これ以上の完成度を望むことは無理でしょう。だから今更、東京を追いかけるなどということは無理なことです。町割がすでに出来上がってしまっていて、少なくとも旧市街に関しては開発などは出来ません。この町に開発とか、都市計画というような概念を持ち込むことが無意味なのです。構造的に限界にきているということです。もし開発するというのなら三方の山を削るしかありません。


(二)町の活性化とは

 京都の総合開発審議会では、京都はこれ以上の「活性化」が難しいという前提で京都の将来を考えています。地勢的にも、町の成り立ちからいっても、京都は西陣のような家内工業的なものを発達させることはできましたけれども、大規模な工場を誘致するスペースもなければ、多くの人口を抱えることもできません。そんなところへ高層ビルを建てて増えたスペースを何に使うというのでしょうか。
 「活性化」というと明治維新の時のように殖産工業的な経済効率の面からだけでとらえ、「京都はかつて日本のGNPに対する比率が10パーセント台を握っていたが、現在は2パーセントを切って、滋賀県にも負けてしまった。」と嘆いている人がいます。この発言は、世界は今や乱開発等による深刻な環境問題を抱え、環境保護に向かっているにも関わらず目先の利益しか考えず、京都の未来に対しての何の具体的な展望もない証拠ない証拠と言えます。京都の活性化を考えるなら表面的な数字にとらわれることなく、本当の意味での京都の存在価値を見極めるべきでしょう。誰も京都に高層ビルを求めてはいません。大規模な産業や高層ビルは、東京や他の町にまかせれば良いのです。京都は公害も少なく日本の歴史と文化の集大成の町として、全国民の心の安らぎの場所、アイデンティティを感じる場所として存在する意義があるのです。

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