発行書籍より
古都税反対運動の軌跡と展望
政治と宗教の間で
京都仏教会編
第一法規刊
第5章 「解説」 (P218〜P230)より抜粋

第十部 解決への努力−開門へ(昭和六十二年四月〜十二月)

今や、市役所内部や市民の今川市長に対する不信は決定的なものとなり、京都市は最後の行政権の行使である差押えもできない状態であった。市民団体によるリコール運動は完全に挫折し、長引く拝観停止により、経済的打撃も深刻なものとなっていた。市・議会、市民はこの状況を打開する手立てを全く失い、沈滞したムードにあった。仏教会はこの状況をとらえ、新たな運動の展開を計るため、市に対し二つの提案をすることにした。一つは開門して市民の苛立ちを取り除いた上で、京都市と解決のための話し合いをする。もう一つは市にとって話し合いの障害となっていた西山正彦氏が仏教会から退くことである。この提案によって、手づまりの京都市側に事態打開への道を開いて、出方を待ち、差押えなど新たな強行策に出たならば、時期を見て再度閉門すればよいと考えた。
昭和六十二年四月二十二日、泉涌寺において仏教会は記者会見し、五月4日より開門し「市と裸で話し合いたい」と表明、同席した西山氏は「話し合いのハードルは取り除いた。市と仏教会で十分話し合ってもらいたい」として、自ら仏教会を退くことを明らかにした。
問題解決に向けてその態度決定を迫られた今川市長は、新議会の役員人事を待ち、その意向に沿って話を進めていきたい考えを明らかにしていたため、五月二十三日、市会各派代表世話人会で「古都税問題協議会」を設置し、全会派で問題解決の方向づけを模索したが、各会派の思惑もあり、協議会の正式設立には至らなかった。
六月六日、観光協会副会長・西村源一氏と清水寺門前会代表・田中博武氏の仲介により清瀧常務理事、荒木理事と安井師が、自民党市議江羅寿夫氏、木下弥一郎氏と非公式に会談を持った。木下氏は「古都税条例は廃止の方向で話し合いを続けたい」と申し入れ、荒木師は「過去にも解決の機会はたびたびあったが、市も議会も当事者としての責任を回避してきたため、解決を長引かせてしまった。今年中に解決のめどをつけるべきである」として話し合いを続けることに同意した。その後理財局長が条例の手直しを示唆したこともあって、市・議会は条例廃止に向け動き始めた。六月二十四日、市議会は「古都税問題協議会」を共産党抜きで設置し、「世界歴史都市会議」までに解決することを決め、六月二十九日に開かれた初会合に出席した奥野助役は、条例の見直しを示唆し、更に、木下市議より仏教会に対し、五項目にわたる次のような解決案が示された。

(1)古都保存協力税条例を廃止する、
(2)条例施行間の税は公正に徴収する、
(3)市長は自ら責任を取る、
(4)各社寺は「京都市発展に協力する」との決意を表明する、
(5)条例廃止後は社寺その他関係者で任意の団体を組織し、京都市発展のため自主的に協力金を集める。

仏教会は基本的に了承できる内容であるとして、議会四会派の合意が成立するのを見守ることにした。八月十二日、今川市長が条例廃止の決意を固めたことが、新聞紙上に掲載されたため、市議会各派も止むを得ないとして条例廃止の方向に動き出し、八月二十五日、市会財務消防委員会で奥野助役が、そして九月三日今川市長が、条例の廃止の意向を明らかにした。
京都市は、古都税条例の付則に「この条例は施行の日から十年を経過した日にその効力を失う」とあるのを「六十三年三月三十一日かぎり」と改める条例の一部改正案を九月二十八日、開会中の定例市議会に提案し、十月五日、市議会はこれを財務消防委員会に付託した。この間京都市は仏教会に対し、六十三年三月三十一日までの税未納分の支払いを要請していたが、十月十一日相国寺承天閣で仏教会所属十一ケ寺と奥野助役、山口理財局長ら市幹部との会合が開かれ、条例廃止と、京都市の求める税未納分を相当額を寄附金として支払うことが合意された。
古都保存協力税条例は昭和六十三年三月三十一日をもって廃止とする条例改正案を、十月十六日財務消防委員会で、十七日には市議会本会議において全会一致でそれぞれ可決された。
議会での市長責任の追及は、「信頼回復に全力を尽くす」と繰り返す今川市長に対し、それ以上には及ばず、市長自身も自らの進退には触れなかった。
十一月一日、修復中であった鹿苑寺金閣の二年にわたる金箔張り替え工事が終わって、盛大に落慶法要が営まれ、六百年ぶりに薪能が奉納された。
秋の観光シーズンと重なって市内は観光客でうずまり、歴史都市・京都の賑わいは甦った。
十一月二十五日には、承天閣において、古都税対象寺院会議が開かれ、仏教会側から東伏見慈洽会長(青蓮院門跡)、有馬頼底(金閣寺責任役員)、清瀧智弘(広隆寺貫主)、大島亮準(三千院執事長)、荒木元悦(銀閣寺執事長)、平野瑛哉(泉桶寺庶務部長)、川村俊朝(泉桶寺財務部長)、市橋真明(隨心院執事長)、羽生田寂裕二尊院住職)、平住法州(東福寺法務部長)、爾文弘(東福寺財務部長)、大西真興(清水寺執事長)、安井敏爾(蓮華寺副住職)、佐分宗順(相国寺塔頭豊光寺住職)、田中博武(清水寺門前会代表)氏らが、京都市側から今川市長、奥野助役、山口理財局長らが出席した。市長から「八・八和解については大変御迷惑をかけ、深くおわびしたい」と陳謝があり、東伏見会長は「過去はもう問わない、今後は京都市発展のため、お互いに理解を深めていきたい」と述べて、古都税紛争に終止符がうたれた。
五年余にわたる反対運動の中で、仏教会はいかなる名目であれ、古都税の徴収及ぴ納入はしないという基本方針を貫いてきた。全対象社寺の結束による反対運動があれば条例の施行はなかったであろうし、仮に条例の施行があったとしても京都市の要求する未納分の支払いなどは拒否できたはずである。しかしながら三十八社寺のうち二十七社寺が条例に屈伏し、納税に応じてしまっている現状と、条例が昭和六十三年三月末に廃止されるということが確定した現在、これ以上の納税拒否はまさに紛争の「泥沼」化以外に無く、運動体として仏教会の得るものは何もない。古都税条例の是非はお互いの主張を出しあったまま、結論を見ないで終わろうとしているがしかし、政治と宗教の関係は対立と迎合の繰り返しの歴史であり、この問題は半永久的な課題として認識されるべきである。仏教会の主張は今後の運動の持続の中でその真価が問われていくであろう。

以上

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