発行書籍より
古都税反対運動の軌跡と展望
政治と宗教の間で
京都仏教会編
第一法規刊
第5章 「解説」 (P218〜P230)より抜粋

第六部 市長の契約不履行(昭和六十年八月〜十一月)

和解内容を公表できなかったことで、仏教会のやり方が不透明であるとしてさまざまな不満を持つ寺院が出た。その一つである常寂光寺の長尾憲彰師とは、清瀧師ら四人が数回に渡り話し合った。長尾師は「市長選において市民の審判を待ち、まず京都市政の浄化を図り、新しい市長で問題解決を計ること」を主張したが、四人は「古都税問題の解決が仏教会の目的であり、市政の浄化は仏教会の力の及ぶところではない。また、古都税問題の是非は、市民による判断ではなく、僧侶自身が判断すべきである」として、決定的な意見の会い違いをみせた。
常寂光寺は、八月八日、和解のための対象寺院会議において、この和解に同意できないことを表明し、八月十日予定通り拝観停止に入り、二十二日には仏教会を脱会した。第三者の介入に不満をもった南禅寺・金地院も同日仏教会を脱会した。和解により八月九日、閉門寺院が一斉に開門し、古都税間題は一挙に解決に向かったため、選挙戦で古都税問題は争点とならず、今川氏は八月二十五日、余裕の再選を果たした。
和解以後、仏教会弁護団の一部が和解内容を明らかにするよう要求していたが、今川市長との約束により、これを明らかにすることが出来ず、二十六日、清水寺において松本理事長から正式に市と和解したことを報告したが、この説明会の後、弁護団は役割はなくなったとして辞任・解散することを発表した。
八月二十八日、大覚寺も和解を不満として仏教会を脱会することを決めた。また二十九日には鵜飼事務局長が、知らされていなかった和解を不満として、仏教会事務局の職員を引き連れ辞任した。仏教会は、鵜飼師の辞任により、報道機関への対応を清瀧師が受け持つことを決め、小松玄澄師を事務局長に、長澤香静師を事業部長に迎え、事務局の立て直しを図った。
この頃、仏教会の支部長らは、仏教会の運営の在り方を不満とし説明を求めていた。理事会は「正規の決議機関を経て意思決定が成されており、要請があればいつでも説明の用意がある」として九月十七日に説明会を持つことを決めていた。ところが十一日付けの新聞に、松本理事長の談話として「退会寺院が出ているのは、自然淘汰のようなもの」と報道されたため、京都市内の八支部長は会議を開き、要求していた説明会を放棄し、松本理事長以下執行部の辞任を要求することを決めた。理事会はこの退陣要求は会則の上からも全く効力のないものであるとして、十七日付けで各支部長宛に解答を送付した。
これらの仏教会執行部に対する攻撃や、事務局長の辞任により新事務局の引継ぎがスムーズに行われなかったため、一部混乱もあったが、組織の立て直しは着実に進んだ。九月二十六日、長尾師や大覚寺の片山師に続き、妙法院の多紀事務長等が、部外者介入による和解に不満を持ち理事を辞任したため、新理事として市橋真明・随心院執事長、五十部景秀・海蔵院(東福寺塔頭)住職、羽生田寂裕・二尊院住職、新監事として松浦俊海・壬生寺住職を選出した。
ところで一方、和解案は、斡旋者に一任という形で、市長選挙後に斡旋者から、約定書として公表する予定であったが、九月に入っても公表されなかった。仏教会は「正規の約定書を反古にすることは許されず、約束した公表期日はすでに過ぎている」として、仏教会の意思を斡旋者に伝えるよう西山氏に求めた。西山氏は(1)斡旋者としての大宮氏を信頼している、(2)仏教会は信義を重んじ、一方的な公表は避けるべきである、(3)斡旋者の解散もしくは市が徴税を始めるようなことが生じたとき、これを発表しても遅くはない、(4)現時点では、開門中であり、相手側の出方を待つべきである、(5)このまま放置しておけば、困るのは京都市である、と述べ和解書の公表を待つよう要請したため、仏教会はこれを了承した。
この間、京都市は八月分税納付期限の九月十七日に、仏教会十五カ寺に対する税納付書類の送付を断念し、九月分も見送らざるを得なかった。斡旋者はその後、八・八和解文書について自治省等と相談するなどいろいろ検討したが、この約定書では、割当的寄附金を禁じた地方財政法(四条五項)に抵触し、履行できないという理由で、新たに修正された和解文を内々に提示してきた。その内容は次のようなものであった。

(一)仏教会は財団法人京都仏教会をつくるものとする。
(二)財団が設立された場合に拝観停止をしている寺院で財団と約定したものについては、財団が拝観料等を取扱い、財団の収入とする。
(三)財団は古都税相当額を特別徴収義務者であるその寺院に代わって協力金として市に納付する。この場合、市は財団を条例第八条に
よる特別徴収義務者に指定しない。
(四)市は(三)の協力金を古都税収入として受け取る。
(五)財団は、各寺院の許可を受けて拝観料等として受け取った金額を古文化保存費用として使用する。
(六)財団が設立された上は、各寺院は財団の発行した拝観券及び条例で定める観賞券を持参したものにかぎり拝観を認める。
(七)市は関係社寺等に対し、文化財保護の助成等のため、一定の金額を交付する。
(八)市は古都税の使途については、関係者によって構成される諮問委員会を設けてこれに諮問する。
(九)財団が設立されるまでの間は、財団法人設立準備委員会がこの業務を代行する。
(十)準備委員会が発足し業務を開始するまでの間は、各寺院が直接、古都税相当額を納付する。
(十一)斡旋案の細部については、当事者間で協議する。

この和解案では、形式的には財団法人化された仏教会が、各寺院に代わって拝観業務を行うことになっているが、その第六項により、拝観に際し、仏教会の発行する拝観券と市の発行する税券両方を持参するものにかぎり、拝観が認められるため、市は条例の施行が可能になり、八月八日交わされた約定書による「寺院は一切徴税行為をしない」という和解の精神に根本的に反するものであった。この案は仏教会にとって、到底受け入れられるはずのないものであったが、斡旋者はとりあえずこの案を発表することで責任を果たす意向であった。
市議会与党は、斡旋者による解決には基本的に反対しており、税条例の完全施行を求めて市長を突き上げたため、定例市議会を前に、斡旋者は第二斡旋案の発表を急ぎ、十一月十一日、市長および仏教会にこれを提示した。京都市はこれをうけ、受諾の方向であったが、仏教会は態度を保留し、対象寺院会議が開かれた。会議には、清水寺、金閣寺、銀閣寺、青蓮院、三千院、広隆寺、二尊院、曼殊院、蓮華寺、東福寺、泉涌寺、隨心院、寂光院の十三力寺の他、西山氏が出席、大宮氏から第二斡旋案の内容の説明を受けたが、寂光院を除く十二カ寺はこれを拒否した。以前から仏教会幹部は第二斡旋案について検討を重ねていたが、西山氏は「この第二斡旋案を拒否すれば、八・八以前の状態、即ち再び拝観停止に入らなけれぱならない。この第二案を受け入れれば仏教会の財団法人化は可能になり、組織力の充実を図った上で、戦いの方向を探ることもできる」として寺院の決断を求めた。松本理事長を始め仏教会幹部は、「八・八の約定書を反古にすることは許し難く、これを公表すべきであり、再び拝観停止を以て抵抗し、たとえ脱落寺院が出ても清水寺、金閣寺らは最後まで戦う」との決意を固めめた。そこで斡旋者に対しては、八月八日の約定書の発表を求め、和解の精神にそぐわないとして解答を留保し、斡旋者会議が解散したときには、これを発表することを決めた。
斡旋案の提示を受けて、仏教会が解答を留保するなか、京都は理財局が徴税作業を開始し、十三日税納付書を十五ケ寺に持参した。仏教会所属の十三ケ寺は受け取りを拒否したが、妙法院と高山寺は拝観停止を恐れこれを受理し、続いて寂光院も拝観停止できないことを表明して、理財局に帳簿を提出した。
十一月二十五日、京都市は仏教会所属の十ニケ寺の門前において、実態調査のための拝観者数のカウントを始めたが、境内立ち入りを拒む寺側と市職員の間で小競り合いが生じ、境内でのカウントは思うようにできなかった。十一月二十六日、斡旋者会議は斡旋を断念し、解散したため、仏教会は清水寺大講堂で記者会見し、次のような声明を発表し、前述の八月八日の約定書を公表した。

声明
昭和六十年十一月二十六日
京都仏教会
理事長松本大圓

本日斡旋者会議が解散致しましたので、仏教会は八月八日以来の真実の経過と今後の方針を発表致します。
一、八月八日に、仏教会に対する徴収義務者の免除を斡旋者会議より呈示されましたので、別紙の和解書を受諾することにより仏教会は拝観停止を中止致しました。八月八日時点において本約定の公表を仏教会は強く要求したにも拘らず、斡旋者会議は京都市長及び自民党府連幹事長・津田幹夫氏の要請を受け入れ京都市長選挙終了まで発表を禁止致しました。その理由は、本約定が条例の改正を必要とすることを市長が認識されたためでありました。
一、八月八日の約定の履行をせず、無責任にも斡旋者会議が解散致しましたが、我々は斡旋者会議及び京都市長に、本約定の履行を強く要求致します。
一、斡旋者会議及び京都市長が、本約定を履行しないならば我々は、来る十二月五日より、八月八日以前に戻り、拝観を停止致します。釈尊の弟子として税の取り立て人になるという万死にあたう恥辱を考えれば、八月八日以来の仏教会に対する非難、中傷にも平然と耐えてまいりました。京都市が、再ぴこの約定を反古にする挙にでた今、我々は仏法の大義と誇りに殉じ山門を閉じねばなりません。
一、自らの選挙の勝利のために、斡旋者会議及び京都市長は、再び仏教会に虚言を弄し、市民を欺き、京都に未曾有の大混乱を引き起こしたことに対し、全責任を追わねばならない。
この発表により、二十九日より始まった定例市議会において、今川市長は八・八和解について与野党から政治責任を追及されたが、(1)八・八約定書については正式の斡旋案までの試案である、(2)西山氏と直接交渉を行ったことはない、(3)寄付金額を記した別文書については承知していない。(4)市議会、市民に不信を与えた点は申し訳ない、などと虚言と陳謝の答弁を繰り返し、古都税条例の完全実施を強く訴えた。
この時期、裁判においては「古都税条例は信教の自由を犯し、憲法に違反する」として、仏教会加盟の十九ケ寺が、京都市と今川市長を相手に条例の無効確認と税新設行為の禁止などを求めた控訴審で、十一月二十九日、大阪高裁が、控訴を棄却、訴えのすべてに対し、門前払いの判決を下した。
前任弁護団全員が八・八和解直後に辞任をしていた為、仏教会は京都の芦田弁護士事務所と大阪の樺島弁護士事務所に依頼し、新たな弁護団を結成したが、芦田弁護士が辞任したため樺島、仲田、太田各弁護士が仏教会顧問弁護団となった。

前のページへ │ 次のページへ

ウィンドウを閉じる