発行書籍より
古都税反対運動の軌跡と展望
政治と宗教の間で
京都仏教会編
第一法規刊
第5章 「解説」 (P218〜P230)より抜粋

第二部 市議会、審議抜き可決(昭和五十八年一月〜昭和五十九年八月)

昭和五十七年十二月三十一日、今川市長は条例の名称を「古都保存協力税」(以下古都税と略す)と決定し、翌一月四日自ら立部仏教会会長を訪ね、税施行の強い意思を伝え、一月十七、八日頃に臨時市議会を招集し、条例案提案を強行する方針を表明した。仏教会に対する、京都市の税施行に向けての最後通告であったが、立部会長は、文観税と同じ内容なら断固反対の立場を貫く方針を市長に伝えた。
また会長をはじめ仏教会代表五名は、府庁に荒巻副知事を訪ね、文観税反対決意表明書を手渡し、文観税に対する仏教会の考え方への理解を求めた。荒巻副知事は「府としては、社寺の納得が得られないまま議会が可決しても施行は難しいと考え、当初から一貫して社寺の納得を得るようにいっている」との基本姿勢を示した。さらに林田知事も記者会見で、京都市が計画している「古都保存協力税」について、市が社寺側との調整を進めるよう要望し、府が市と社寺との仲介や、斡旋に乗り出すつもりはないことを明らかにした。
昭和五十八年一月七日、今川市長は記者会見で条例案の骨子と税収の使途を発表し、文化財保護のほか、芸術文化劇場岡崎文化ゾーン整備の基金積み立てを表明した。同日、共産党市議団はこれに対し、十八日招集の臨時市議会に古都税条例の提案を見合わせるよう、市長に申し入れた。
一方仏教会では小林理事長らが市役所を訪れ、一層強固な反対運動を展開することと、同問題を法廷闘争に持ち込むことを表明する声明書に、対象四十社寺中三十四ケ寺が署名捺印した、徴税義務寺院の指定拒否表明書を添付して提出するとともに、一月八日、仏教会加盟の六十九寺院(課税対象寺院三十三ケ寺、指定外寺院三十六ケ寺)は市長を相手に条例の市議会提案中止を求める差止め訴訟と、仮処分申請を京都地裁に提出した。また一月十日、小林理事長ら仏教会代表四人は自治省を訪れ、山本自治相に古都税反対を陳情した。山本自治相は「地元で解決すべき問題で、行政と宗教者が法廷で争うとなると全国の人々が違和感を持つ。今後京都市から同税実施の正式な申請があるとしても、制度そのものが円滑に運営されるかどうかを見極める必要がある」という見解を示した。続いて自民党宗教政治研究会(玉置和郎会長)を訪ね、古都税実施反対の陳情書を提出したが、宗政研は十四日楠木正俊会長代行ら十二人が集まり自治省、文化庁、内閣法制局、京都市などの担当者を呼び検討し、仏教会のいう憲法違反(信教の自由違反)には当たらないと言う結論を出した。
一月十八日、京都市臨時議会は、午前十時より開会し、「古都保存協力税条例案」を今川市長が提出した。即決を察知した、税設置に反対する共産党議員から「この条例は三十九年の『覚書』に反するのではないか、強行提案は容認できない。条例案の即決は審議権を放棄するものだ」として委員会付託を求める動議が出されたが否決され、共産党をのぞく賛成多数で即決された。これに対し仏教会は直ちに記者会見し、「古都税の審議ぬき可決は暴挙である」と声明を発表した。また市民団体からも議会に対する批判が続出した。
京都市は仏教会の反対運動を自殺行為と決め付け、対象社寺が相手であって、仏教会相手では話し合いは進まないとして、各区長などを対象社寺に派遣し、各社寺の個別説得による切り崩しを始めた。
一月二十一日自治省は、京都市に対し対象社寺が徴税に同意したことを示す文書を、許可申請書に添付するよう求めていく考えを明らかにした。
同省市町村税課は、文化観光施設税を徴収している栃木県日光市など三市の許可に当たっては、申請書に対象社寺個々の同意書などを添付させているため、京都市の場合も、対象社寺の数が多いので全部の同意書までは求めないが、少なくとも対象社寺の圧倒的多数が同意したことを示すものが必要であるとの見解を示したのである。
古都税条例可決以来、京都市は、対象社寺の個別説得を進めていたが、市関係者の来訪を断る文書を門前に掲示し、結束を固めていた仏教会の抵抗によって、思うような成果が上げられなかった。そのため、自治省の意向を満足させることができなくなったため、古都税を五十八年度一般会計当初予算に計上することを断念し、四月実施は事実上見送られた。
仏教会は市の条例強行採決を牽制し、引き伸ばすために「条例新設のための一切の行為の禁止」を求める仮処分申請をおこなっていたが、条例を強行採決したものの、四月実施を事実上断念したので、施行を早急に差し止める必要はなくなったとして、先の仮処分申請を取り下げ、これに代わり「古都税条例は信教の自由や政教分離を定めた憲法に違反し、地方税法、地方自治法にも違反する」として京都市を相手に、条例の無効確認を求める訴えを二月十四日、京都地裁に起こした。
その後京都市は、仏教会の結束による説得の不調や前右京区長らの二億円にのぼる公金詐取事件の発覚等で表立った動きを控えていたが、五月十一日、今川市長は記者会見で古都税を秋にも実施する意向を表明すると共に、見切り発車もあり得ることを示唆し、世論作りのためパンフレットを作成したり、各種団体によびかけ「古都保存協力税を実現させる市民協議会」を設立したりして、税施行に向けて再び動き出した。
藤田理事長解任のための役員会開催の要求が一方的に拒否されたままであった古文協は、役員の任期満了を控え、三月三十日に理事会・評議員会を開いたが、理事長解任をめぐり紛糾の末、流会となった。四月二十二日、妙法院で再度役員選出のための理事会が開かれたが、平等院からの委任状が改竄されていたり、委任状をもって出席していた代理人の資格について文観局が汚い言葉で罵倒したため、会議は紛糾し、藤田理事長は一方的に閉会を宣言し、理事長解任の動きは再び封じられた(これを機に平等院は古文協を脱会した)。こうした混乱を経て招集されたのが六月二十七日の理事会であり、満場一致で評議員を再選した。続いて七月四日理事会・評議員会が開かれたが、このとき、以前より理事長らの恣意的な議事の進行に疑問を持っていた古都税反対派の寺院代表は、録音テープを持って出席した。会議の冒頭、古都税反対派の寺院より、役員改選意志通知書(二十二名の評議員)を提出し、動議を求めたにも拘わらず、議長は異議なしとして一方的に閉会を言した。このため理事長解任の動きは三度封じられたが、森定三千院門跡以下八名は藤田理事長らを相手取り、規約を無視して理事長に留まっているのは無効であるとして、理事長の職務停止を求める仮処分を、京都地裁に申請した。
一方、京都市が各種団体によびかけ設立させた官製団体は、連日にわたり対象社寺に対し、古都税に協力するよう呼ぴ掛ける文書作戦を展開していたが、仏教会は会長をふくめ首脳七人が七月に再度自治省を訪れ、山本自治大臣に古都税不認可を訴える陳情をおこなったり、九月には、文観税問題公開討論会などを開き、これに対抗した。そして市と仏教会との水面下に於ける攻防は激しさを増し、対象社寺に対する互いの説得工作が続けられた。
しかし裁判においては、十二月十六日大徳寺塔頭の高桐院、瑞峯院、芳春院、竜源院らが突如、市の説得に応じ、あろうことか市側の代理人である納富弁護士を通じて、京都地裁に取下げ書を提出した。また十二月二十二日の法廷においては、古崎裁判長が市側に答弁内容を示唆したり、「古都税が憲法違反なんてそんな馬鹿なことがありますか」などと言い、公正を欠く発言があったため、仏教会側は裁判官忌避申し立てを行った。その結果、この日結審予定であった古都税訴訟は中断する事態となるが、十二月二十八日京都地裁はこれを却下し、昭和五十九年三月三十日、古崎裁判長は仏教会側の訴えを門前払いする形で判決を一言い渡した。これを受けて仏教会は原告団を税対象の二十六ケ寺に絞って直ちに大阪高裁に控訴の手続きをとった。
今川市長は、昭和五十八年十一月の時点では社寺側の同意なしでも申請を行うという強行姿勢を示していたにも拘わらず、昭和五十九年三月にも古都税を予算案に計上できず、再び四月実施を見送らざるを得ない状況であった。しかし対象社寺への切り崩し工作や、官製団体の仏教会への批判は激しさを増していった。
仏教会は任期満了にともない辞任した立部会長にかわり、新会長に東伏見慈洽青蓮院門跡を迎え、理事長には松本大圓清水寺貫主を選任し、これらの批判に対処するため組織力の強化を計るべく府・市両仏教会を統合し、法人化する方針を打ち出した。
しかし五月二十二日、化野念仏寺が古都税訴訟を取り下げたのを始め、三十一日には仁和寺が離脱、神護寺、竜安寺もこれに続いた。
これに力を得た京都市は、七月二十八日自治省に対する古都税条例の許可申請を京都府に提出した。府は、八月二十五日付けでこれに意見書を付けて自治大臣に進達した。

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